【追記】アドラー心理学を学ぶにつれて色々なことに気がつき、色々なことを学びました。
悩みにも色々ありますが、悩みの全ては対人関係にあるとするこの心理学を学び、わたしは生きているのが楽になりました。
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2月もそろそろ半ば、4月からは新年度。
新しい生活へ移行する準備をする人も多くいるだろう。
異動や転職のために、新しく身の回りの物を買いそろえ、準備を始める人もいるだろう。
物の準備も大切だが、心の準備はどうだろうか?
今回は、新しい生活への期待と不安が入り交じる人へ、そんな 心配が吹き飛ぶような考え方を私が傾倒している『アドラー心理学』の中からお話ししようと思う。
刹那(せつな)を踊るように生きる
『刹那』というと「刹那的」つまり”今が楽しければそれでOK、将来のことは知った凝っちゃ無い” ”先を考えない堕落した生き方” とネガティブな思考と捉えられがちだが、ここでいう『刹那』とは、そういう意味では無い。
アドラー心理学の本、『嫌われる勇気』の一節を引用する。
刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に行きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要も無く、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。
過去・未来
この考え方を説明する前に自分の「過去」と「未来」について考えてみよう。
過去
過去とは、言うまでも過ぎ去ったことで、変更がきかない。
思い出を大切にするのは良いが、何時までも過去に囚われていても前へ進めない。
過去の事象について悔やんでも、何の問題解決にもならない。
私が、かつて市民ウインドアンサンブルでトランペットを吹いていた時、曲の途中で失敗し、それを引きずって間違いを連発する私に先輩が「一度出た音は戻せないんだから気にするな」と言われて、吹っ切れた経験がある。
一方、過去に偉業を成し遂げ「栄光」を手にしたことがあっても、それも過去の事である。
讃えられるものではあっても、いつまでもそれに縋(すが)っていては、いつかは没落する。
かつてのヒット商品にしがみつき、衰退していった企業のなんと多いことか。
正(まさ)しく「 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」である。

未来
過去にあった事例と問題に取り組む際、過去の経験から結果が見えるような気がするが、参考にしているのは過去の出来事であって、今回どうなるかは誰にも解らない。
何故なら、2つとして同じ条件、同じ環境、同じ状況とは限らないからだ。
それに、過去の経験から学んでいれば、自分のスキルも上がっているはずだ。
また、何かの目標のために『今を犠牲にする』という考え方も何か違うような気がする。
よしんば、『今を犠牲にして』自分の希望通りの結果になったとしても、それで幸せになるとは限らない。
やっとの思いで入学した先でいじめに遭ったり、入った会社がブラック企業だったりするのは良くある話では無いだろうか?
※だから努力や勉強は無駄だと言っているワケではないので誤解無きよう。
そんな、不確定要素も多く、不安定な未来をあれこれ詮索し、心配したところで自分ではどうしようも無いのである。

刹那
これまで述べてきたように『「過去」も「未来」自分だけの力だけでは解決できない』ことなのである。
それだったら『自分のできること』『自分で影響を与えることができる事』に一生懸命取り組み、一瞬一瞬を大切にしようというのが、『刹那を踊るように生きる』考え方だ。
目的を定めず「ダンスを踊るかのように今を楽しむ」そうしていれば、かつてのスティーブジョブズの演説にもあったようにあとになって”点と点が繋がる”こともあるだろう。
一瞬一瞬を真剣に取り組まなければ、将来的に繋がる点とはならないし、楽しむこともできない。
長文になってしまったが、これから様々なことに挑戦しようとする人、新しい生活に馴染めるだろうか?と不安な人の一助になればと思って記事を書いた。
いろんな考え方があって良いと思うので「こう生きろ!」というつもりは無いが、自分と向き合う際の参考になれば幸いである。
まとめ
ブログを書いていると、自分では花丸の記事が全く受けなかったり、何気なくサラッと書いた記事が人気を集めたりすることもしばしばあることだ。
それに、評価されるまでには時間がかかることもある。
実際、現在当ブログで一番評価され、検索でヒットしているのは半年前に書いた記事だ。
余談だが、先日受けたアクセス解析のセミナーによると、ブログ記事を書いたあと1か月はGoogleの検索順位は上がったり下がったりして安定せず、その後記事の内容が良ければ上位にランクされるらしい。
だから、今の私にできることは、こんな事を書いて『読者の人達に解って貰えるだろうか』『炎上するんじゃないだろうか』『偉そうなことを言いやがって!と思われないだろうか』などと思い悩まず、
エイヤー!
と世に出すことだけなのである。
よきアドラーライフを。
Written by Metal(@Metal_mac)