サラリーマンを辞めようと思った時に、いろいろなものを受け入れてきたような気がする。
大好きな自分はもちろん、嫌いな自分、情けない自分、寂しい自分、悲しい自分、臆病な自分、弱気な自分、甘えたい自分…
それらを受け入れられなかったら、今はないだろう。
勘違いしないでいただきたいのは、マイナスな自分をそのままでいいと言っているのではない。
そういう自分がいるということを認めることができた。
つまり、受け入れることができたのだ。
受け入れると心が楽になる

受け入れられずに自分の中に「嫌いな自分」がいる時は、生きるのが苦しかった。
そんな自分を1つ1つ「それが自分なんだと」認めると生きるのが楽になってきたのだ。
多分、嫌うことでより「嫌いな自分」で心がいっぱいになり、苦しんでいたのだろう。
光があるところに影があるというように、光が当たったところ(好きな自分)があれば、必ず影(嫌いな自分)はできてしまうのだ。
どちらか一方を受け取ることはできない。
なので、存在を認めることで「嫌いな自分」も「好きな自分」も自分なんだと自分の中に受け入れ心が楽になったのだろう。
良いことと悪いこと
サラリーマンを辞めたいから サラリーマンを辞めると決意する過程でもやはり受け入れたことがある。
わたしも人並みにサラリーマンを辞めて無収入になるのは怖かった。
そして、何の保証もない状態は想像するだけで不安でいっぱいになった。
そんな時、いろんな啓発本を読んだり、ツナゲル ライフ インテグレーション(TLI)講座に参加している頃、腑に落ちたある考えがあった。
これから先、自分にとって良いことも悪いことも起きるだろう、それはサラリーマンをやっていても、サラリーマンを辞めても同じなんじゃないだろうか?
それだったらもういいや、いろんなことが起きるだろうし、大変なことが起こるかもしれないけど、それでもいいや。みんなあるがままに受け入れよう。
その時、自分の中で全てを受け入れる覚悟ができたと感じた。
すると、同時に心がスーと楽になったのを覚えている。
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自分にとって良いことと悪いこと

生きていると色々なことがある。
前述のように多くの人が「良いこと」と「悪いこと」があると思っている。
しかし、見方を変えれば「悪いこと」と思っていることも「良いこと」にできるんじゃないだろうか。
こんなことがあった。
上司に辞めると告げた後、左足親指の爪をちょっとしたことアクシデントで剥がしてしまった。

その次の日は1泊の予定で小旅行をするつもりだったのだが、まともに歩けなかったのでキャンセルした。
とても残念だった。
その時に前述の理論を思い出して、怪我をしたことによるメリットを無理やり全力で考えた。
「 この週末は予定をいっぱい入れていたから少々疲れ気味だった。休めてよかった 」「外出しなかったので、家族と一緒にいられた」「ゆっくりと本を読むことができた」など。怪我をしなかったメリットを考えてみると、残念がっている自分がいなくなっているのがわかった。
ある起こった事象に対して、見方を変えることで受け入れることができたのだろう。
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まとめ

受け入れるということは、 覚悟するということだと思う。
自分にとって都合の良いことも悪いことも全て受け入れる覚悟ができた時、サラリーマンを辞めたらどうなるのだろう?という恐れはなくなったのだ。
これは何もサラリーマンを辞める時だけに限ったことではない。
何かに挑戦しようとするとき、結果の見えない世界へ飛び込む時、不安を消すために使える考え方だろう。
Written by メタル(@Metal_mac)
参考図書
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