AUGM長崎の翌日、長崎の方達に1日観光へ連れて行っていただきました。
昨年長崎では、三菱重工業株式会社長崎造船所関連施設など8つの世界遺産が登録されたそうです。
そんな施設を見せていただいて、観光の目玉「軍艦島」へも上陸しました。
小菅修船場跡

通称そろばんドックと呼ばれる形式の船渠(せんきょ)です。
薩摩藩とグラバー亭で有名な実業家トーマス・ブレーク・グラバーが共同で設置したそうで蒸気機関で動く船の修理場です。
当時の約500トン、長さ約50メートルくらいの船を船台に乗せて引き上げることができたそうです。
▲わたしの後ろに写っている四角い鉄板がそろばんと呼ばれるもので、船の底(船底)は三角形をしているため、両側のそろばんに股がるようにVの字をした船の架台が置かれそれに乗せられて船が上がってきます。
▲蒸気機関煉瓦造りの釜になってます。
夫婦岩
長崎にも夫婦岩がありました。
▲周りには神社も何もなく、道沿いに突然現れました。
伊王島
ここから、伊王島(いおうじま)という島へ橋を渡って行きました。

ここには、カソリック系の教会 馬込教会がありましたが、長崎独特の教会のような雰囲気です。

この島のホテルで昼食を食べたあと、いよいよ軍艦島へ渡るツアーへ出発しました。
軍艦島へ
▲軍艦島資料館にあった全体写真
パンフレットの解説によりますと、軍艦島(正式名称 端島)は、1810年頃に石炭が発見されて佐賀藩が採炭を行っていましたが、1890年に三菱合資会社の経営となって本格的に海底炭鉱として採掘が始まったそうです。
以後、約80年間に渡って採掘され1971年に閉山。
最盛期には鉄筋コンクリートの高層集合住宅に5,300名がこの島に住み、東京都の9倍もの人口密度の中で生活していたそうです。
高度成長期の日本のエネルギーを支えてきた島なんですね。
最近では、映画『進撃の巨人』の撮影が行われたことでも有名です。
乗船
軍艦島へ渡るツアー会社は5社あるそうなんですが、今回は軍艦島コンシェルジュの船で出発。

天候が悪いと上陸できずに引き返すこともあるらしいのですが、今回は運良く晴天でうねりも無く穏やかな海でした。
船には長崎から乗船された方々も含めて総勢150名ほどのツアーでした。
▲船に乗って、約20分ほどで軍艦島へ接近、島の全体がわかるように周りを船から見学です。
上陸
▲上陸した後、建物内には崩壊が始まっているため、危険なので入れません。
▲3か所ある見学ポイントをぞろぞろ歩いて移動してガイドさんの解説を聞きます。
▲この炭鉱は3交代制で24時間稼働し続けたとのこと。
そのため、夜中どこかの家の明かりは点いていたので、操業していた頃は灯台は必要なかったため設置されたのは閉山後だそうです。
坑夫の労働条件は過酷で、気温30度以上、湿度95パーセント以上の地下深くへ潜っての8時間労働。
掘り進むうちに、だんだんと深くなっていき、採掘現場まで2時間もかかって移動したそうです。
島には、中学校までの教育施設があったそうで、その他にも郵便局や理髪店などすべてのものが、狭い島内で賄えるようになっていたそうです。
まとめ
今の世の中では当たり前のように電気やガス、水道などのライフラインやエネルギーが確保されています。
しかし、一昔前にはこんな過酷な条件で働いていた方々がいたからこそ、今があるんだなと改めて感じました。
爆発事故などで、たくさんの方々が亡くなったそうです。
松尾芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」がぴったりとくる島でした。
Written by メタル(@Metal_mac)
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