今年(2016年)3月、55歳を目前に控え、定年まで6年を残したまま会社を辞めてもうすぐ半年になろうとしています。
やっと、最近自分の生活にもリズムがでてきて、まだまだ経済的余裕はないものの、なんとか過去を振り返る余裕は出て行きました。
そこで、シリーズものとして、どうして自分が会社を辞めたいと思ったか、また辞めるまでにどうあがいて、それをどう乗り越えてきたか。
それをブログとして、残しておきたくなったので今日からボチボチと書いていくことにします。
それと「会社辞めたい」って検索する人が月に約18,000人(Google調べ)もいるので、なにかその答えになれば良いなと思っています。
それと、メンターの1人であるNo Second Lifeの立花さんも、メルマガで立花はいかにして「好きなことだけして食っている人」になったのか?歴史を語ろうってシリーズを連載しているので、簡単に言うとそのTTP(徹底的にパクる)のブログ番です。
はい、では第1回、前置きはこのくらいで本題です。
パニック障害を発症
どうして会社を辞めると決意したか?
今振り返ると、20年近く前、心身症(パニック障害)を発症したのが始まりだったのかもしれません。
当時、上の娘が生まれたばかりで、狭いアパートの中で夜泣きが続き、睡眠不足でした。
それに加えて、残業続きの毎日で、今思うと現実逃避だったんでしょうね。
夜遅く帰宅しては、テレビゲームで深夜まで遊び、朝早く起きて睡眠不足のまま出勤する毎日でした。
そんな毎日が続くある日、朝食を食べている最中に突然息苦しくなり、気がつくと庭に飛び出していました。
パニック障害による過呼吸症候群であるということは、今でこそ理解できますが、その当時は何が何だかわかりませんでした。
その状態がずっと続くなら、嫁さんも救急車を呼ぶなりなんなりしたんでしょうが、数分すると落ち着いて、あとは普段どおりの生活ができるので「ますます?」です。
たぶん、それが一番古い心身症の記憶です。
その後は、夜帰宅する途中に道を歩いていると、たまに突然恐怖感が襲ってくることがありました。
そして、その恐怖から逃れるために、何度か電車に飛び込もうと思ったことも。
なんとか、その場を乗り切ると後は、普通の生活ができるので何がおかしいんだろう?っと頭の中で「???」が続いたまま生活を続けていました。
まとめ
この頃の自分に会えるとしたら、「早く病院へ行け!」と忠告したいw
しかし、この頃は「心療内科」という言葉も知らず、心が助けてくれ!と叫んでいるなんて想像もできませんでした。
今のようにメンタルヘルスなんて言葉もなく、心の病が一般的に認知されていなかったですからね。
それに心のどこかで「心を病んでいる」と人に思われることを恥ずかしいと思っていたのかもしれません。
Written by メタル(@Metal_mac)
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