35年間勤めた海上保安庁時代。
2年経った今思い出してみると、ほんと好きなことしかやってこなかったと思う。
といえば、好き勝ってやってきたように聞こえるかもしれないが、ようは課題から逃げていただけだった。
昔から、そうだった。
学校では、勉強が嫌いで逃げていた。
特に母親は、いつも「勉強しろ」としか言わなかったので、わたしは「絶対勉強なんかしてやるもんか!」と心に誓っていたほどだw
海上保安庁に入ってからは、潜水士を経験して海難救助や防災を専門としていたが、警備関係の仕事は嫌いであまり熱心じゃなかった。
海上保安庁の警備救難部の仕事は、海難救助もやれば、同じ人間が犯罪取締りもやる。
よほど専門職が強くないと、それだけでは出世はできない。
取締りというと、刑事ドラマのように犯人を追いかけたり、「警察24時密着!!!」のドキュメンタリーを思い出すかもしれないが、あれはほんの一部。
被疑者(犯人)の供述調書を取ったり、現場の状況を書類にする実況見分など、刑事訴訟法に基づく資料作りなど、検事へ送致し立件(犯罪を証明)する文書を書くのが主な仕事だ。
なので、「こいつがこんな悪いことをしました」という文書を作成するのが仕事とも言える。
だから、わたしは書いていて楽しくなかったのだ。
話題が横道にそれたので元に戻す。
逃げても追いかけてくる
嫌なこと、辛いことは誰でも逃げたくなる。
それは当たり前だ。
だからわたしも逃げたし、避けた。
今思うに、それは現れるべくして現れたこと。
自分の人生の課題なんじゃないだろうかと考えることがある。
逃げるなとはいわない。
辛いときは逃げれば良いし、その時は避けた方が自分を守ることにもなる。
だけど、いつかはもう一度同じ課題が現れるんだということを忘れない方がいい。
一時避難して、その間に成長していつの日にかその課題を乗り越える。
そうやって人は成長するんじゃないだろうか。
例え、その時は勝てなくても、何度もやられても、諦めなければきっと勝てる日が来る。
神さまは、乗り越えられる課題しか与えないというではないか。
まとめ
結局、世の中「いいとこ取り」はできないようになっているみたいだ。
「嫌だ」と避けるのは簡単だが、受け入れないといつまで経っても「嫌だ」のままになる。
諦めて飲み込んでしまえば、心が楽になるようなるんじゃないだろうか。
Written by メタル(@Metal_mac)